4ヵ国語を勉強するブログ

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「英語学習では4技能をバランスよく身に付けるべき」って言ってる人なんなん?

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どのくらい語学ができるのかを測るとき、よく4技能というものを基準にして考えます。

 

これは、

  1. リーディング(読む)
  2. リスニング(聞く)
  3. スピーキング(話す)
  4. ライティング(書く)

を指します。

 

最近よく、

「従来の教育は、リーディングとリスニングを中心とした受信型英語に偏った学習が中心だった。しかし今の時代、スピーキングとライティングという発信型の英語力も鍛えなければグローバル化の流れについていくことができなくなる。今後は、それら発信力を含めた4技能を総合的に伸ばすことで、グローバル人材の育成を図っていこう。

というようなことが叫ばれています。

 

これは、大学入試を改革しようとしている政府はもちろんのこと(文部科学省のHPに行けばわかります)、民間の語学スクールや、学校の先生などもよく口にすることで、英語業界全体のトレンドであると言ってもいいでしょう。

 

しかし、ぼくはこの流れに対してちょっとした問題意識を感じています。

 

それは、このような「4技能をまんべんなく伸ばしてこその英語力だ」といったことが叫ばれてしまうと、その考え方に縛られてしまい、せっかく英語を勉強しようという意欲があるのに、英語学習がうまくいかなくなってしまう人が出てきてしまうのではないか、という懸念です。

 

英語は目的に合わせて勉強すればいい

そもそも、一言で英語学習と言っても、個人個人によってどのような形で英語と関わっていくのかは全く異なってくるので、「これこそが本当の英語力なんだ」というものは存在しないはずなんですよ。

 

読むのと聞くのしかできないとグローバル人材になれないからスピーキングもやらないといけない?

 

ではたとえば、会社で海外から英語で送られてきたメールを読んで返信する、という業務において英語が必要だという人はどうでしょう。

この人に必要なスキルは、英文を読んで理解するリーディング力と、返信のメールを書くライティング力だけなんです。

極端な話、全っ然英語がしゃべれなくてもいいわけです。

 

もし、この人が「英語は4技能まんべんなく伸ばさないといけない」といったことに影響されてしまったらどうなるでしょうか。使いもしないリスニングやスピーキングのスキルのために無駄な時間を使ってしまうことになるかもしれません。

 

またその結果、スピーキング力がうまく伸びなかったりしたときに、それが全然使わないスキルであるにもかかわらず、「自分は英語ができないんだ」と思い込んでしまい、英語の勉強自体をやめてしまう可能性もあります。

 

これってすごくもったいないと思いませんか?

 

この人に必要な英語力はリーディングとライティングだけです。業務をしっかりとこなすために、徹底的にこの2つに絞って学習していけばいいんですよ。

グローバル人材の育成のために4技能をバランスよく、とは言われますが、英語のメールを読んで英語で返信をする、これって立派なグローバル人材じゃないですか?

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「1技能だけ伸ばすのは不可能」の嘘

予想される反論としては、

「4技能はすべて互いにリンクしている。ひとつやふたつだけ選んで向上させることは不可能だ。」

というのがあります。

 

英語学習法が書いてある本を読んでいるとよく見る文言ですが、こういう考えの人って、知ってる世界が狭すぎると思うんですよね。

 

以前、日本在住歴が長い台湾人で、日本語から中国語への同時通訳ができる人に会ったことがあります。

ぼくが話したことを日本語がわからない台湾人にその場で同時通訳してもらったんですが、ぼくが日本人でも早いと感じるくらいのスピードで話しても、まったく問題なく通訳していました。

 

で、驚いたのが、彼女の日本語のスピーキング力です。めちゃくちゃ早い日本語が聞き取れるのに、全然しゃべれないんですよ。

 

これだけ早い日本語を聞いて同時通訳できるのだから、当然日本語も話せるんだろうなと当時のぼくは思っていたので、これには大きなショックを受けたのを覚えています。

 

外国語の勉強法に関する名著に、『外国語学習法』(千野栄一著)という本があります。

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

 

この本にも、リーディング力だけ身につけた人が出てきます。

おもしろいのでちょっと引用してみます。

筆者がプラハの学生寮にいたときのことである。ある日、見知らぬチェコ人の訪問を受けた。その人は汽車で三時間ほどの地方の都市にいる人で、一週に一回、私に日本語を習いたいというのである。一体いくらで教えてくれるか、どのくらいの期間で日本語が習得できるかという質問から始まったのだが、次に出された条件にびっくりさせられた。この人がいうのには、発音は全然教えなくともいい、書いてあることの意味が分かればいいというのである。

いろいろ詳しく事情を聞いてみると、この人は化学の技師で化学の文献を訳せればいいというのが学習の目的であった。

(略)

こんなに明確な学習意識を持ち、学習の対象すなわちどの領域のどのことがどの程度できるようになればいいのかが分かっている人の進歩がどんなものであったかは、いうまでもあるまい。

 

このような例は本当にいくらでもあるんですよ。

 

僕自身が確認した範囲でもうひとつ覚えているのは、「molecule(=分子)」をどう発音したらいいのか知らないのに、分子生物学の研究をしている人です。

研究のためには膨大な量の論文を英語で読まなければいけないわけですが、別に「molecule」が発音できなくても、それが「分子」を表すことさえわかれば自分の目的は達成されてしまうんです。

 

似たような話で、「law(=法律)」の発音を知らないのに、法律学をやっているインド人が『わたしの外国語学習法』という本にも出てきてましたね。

わたしの外国語学習法 (ちくま学芸文庫)

わたしの外国語学習法 (ちくま学芸文庫)

 

 

他人の基準で考えるな!

まとめると、英語学習は、それぞれの目的に合わせて、その目的を達成するために必要な部分だけを伸ばすようにすればいいということです。

さっきは、仕事で英語を使う人を例として挙げましたが、なにもそんなに難しいことではありません。

隣の家に外国人が引っ越してきたからちょっとあいさつだけでもできるようになりたいという人が、今流行りの「洋書多読」とかやっても時間のムダですよということです。

今すぐに本屋へ行き、「日常英会話フレーズ100」みたいな本を買ってきて覚えて実際に使ってみてください。

それでもし聞き取れないことに不自由を感じたらその時はまたその時でリスニングの勉強をすればいいだけです。

 

とにかく、「4技能すべてできてこその英語力だ」というトレンドに流されて、いやそれでできるようになる人はいいんですが、ムダなことに時間を費やしたり、英語学習が楽しくなくなったりやめてしまったりするのはもったいないです。

 

4技能すべてできる人だけが「グローバル人材」で、そのほかの人はダメなんだみたいな単純なものじゃないんです。

 

誰だって得意不得意、好き嫌いがあって、4技能に偏りがあるものです。

文部科学省のHPを見ると、「4技能を総合的に育成・評価することが必要」「聞く、読むだけでなく、話す、書くも含めた英語の能力をバランスよく評価する」「4技能に係る一貫した指標で」などとあります。

 

英語が他の言語と異なり特殊である点は、ずばり言って多様性です。

世界中の人がそれぞれのアクセントで話し、どのくらいできるのかももちろんバラバラ。英語を勉強していると、そのような英語という言語が包括する豊かな「多様性」に触れることができ、そういう経験にはとてつもない快感・楽しさ・嬉しさがあります。

 

そんな「多様性」を包含している英語なのに、「英語力はこうあるべきだ」みたいな「単一な」基準を入れて考えている文部科学省って、英語の本質的なことはなにもわかっていないんだなと思います。

 

そんな人たちが英語教育の方針を決めてるわけですねぇ。すごく残念。

今の日本の英語学習を取り巻く環境は、

「リーディングとリスニングはできるのに、全然英語しゃべれない?それはあかん!」

という方向になっています。そうじゃなくて、

 

「え、この英文の意味わかんの?すごいじゃん!」

 

という方向になり、尖ったバランスの英語力も当たり前のように評価されるようになって欲しいものです。

 

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