『桐島、部活やめるってよ』の英語版タイトルを知って感動した話。
中学生の時部活やめたかったかずーい(@kazuui81)です。
邦画で一番好きなのが『桐島、部活やめるってよ』なんですが、
昨日なんとな~く「『桐島、部活やめるってよ』の英語タイトルって何なんだ?」と思って調べてみたんです。
自分の予想としては、
"I heard Kirishima's gonna leave the club"
でした。
まぁ、原題をほぼそのまま日本語に訳しただけです。
自分なりの工夫としては、"is going to"じゃなくて"~'s gonna"にしてちょっと口語っぽくしたことです(何言ってるかわからん方すみません)。
で、調べてみたら、
The Kirishima Thing
だったんです(°▽°)
圧倒的"やられた感"
The KirishimaThing
これを見た時、
「うわああああああああああ」
という気持ちになりました。
いや、何が「うあああああああ」なのかと言うと、
圧倒的やられた感
です。
うん、全然わからないね。説明します。
この『桐島、部活やめるってよ』は、桐島という一人の生徒が部活をやめる・・・というニュースをきっかけに、それを取り巻く生徒に起こった出来事を描いた作品です。
タイトルにもある"桐島"は本編には出てきません(ネタバレにはなってないのでご安心を)。
桐島が部活をやめる・・・その一大事によって周りに起こった些細な変化を描く
つまり、桐島を中心として起こった事(=thing)がこの映画の内容であり(元は朝井リョウの小説)、そういう意味で、"The Kirishima Thing"というタイトルはバッチーンと決まった、何と言いましょうか、もうこれ以上ない、というか、
とにかくヤバイわけです(語彙力)
たとえばこれが"Things about Kirishima"だと全然違うわけです。
これだと桐島個人に関することを意味してしまいます。
本編には桐島に関することはほぼ出てこないので適切ではないですよね。
というか、桐島個人の情報をあえてぼやかすことで、見ている人に"心地よいモヤモヤ感"とも言える感情を喚起し、桐島が中心なのにも関わらず、"周りの"生徒の物語を強調しているのがこの映画です。
桐島が(桐島桐島うるさくてすみません)タイトルにも入っているように中心だが、登場人物は周りの生徒、周辺の状況を描く・・・
これを的確に表すのは"The Kirishima Thing"以外にはありえないのです。
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プロの仕事に脱帽
あと他にもう1点、何が"やられた!"だったのかというと、"The Kirishima Thing"は原題の直訳ではないって点です。
ぼくが調べる前に予想として立てた、
"I heard Kirishima's gonna leave the club"
は、原題を教科書的に直訳したにすぎません。
それに対して"The Kirishima Thing"は、
原題はいったん置いといて、すべてを一度フラットにした上で、最適な訳を探す
というプロセスを踏んでいます。
ぼくがやったような直訳はある種の思考停止であり、いかにも教科書的な、学校的な、素人的な発想でしかないわけです。
「受験英語は今すぐ忘れろ!」なんて記事を以前書いていたにも関わらず、
ぼくは「学校のテストで確実に点が取れる」ようなきわめて低レベルの翻訳をしていたということです。
詳しいことは調べても出てこなかったのですが、おそらくこの英語版タイトルはプロの翻訳者が考えたものなのでしょう。
これがプロの仕事か・・・と感心しましたね。
翻訳者は機械・・・? いえ、職人です。
今回の"桐島ショック"で再確認したことは、
翻訳は創作である
ということです。
よく、翻訳者や通訳者がただの機械、マシーンだと思っている人がいます。
基本的に自分よりも下の立場で、ただ言われた言葉をそのまま機械のように別の言語に訳していけばいいだけ・・・
そういうクソみたいな勘違いをしてる人が結構いるのですが、全然違います。
今回ぼくが感銘を受けたように、翻訳というのは人を感動させる力を持っており、表向きはひとつの言語を別の言語に機械のように訳しているだけに見えるかもしれませんが、翻訳者・通訳者の頭の中で行われていることは、立派な創作です。
そうです、翻訳は創作なんですよ。
たしかに、新聞や論文のおおよその内容を理解する程度の翻訳なら、グーグル翻訳に任せれば十分です。
ぼくが確認している限り、翻訳の精度も日々ぐんぐん上がっています。
しかし、今回紹介した"The Kirishima Thing"のような職人技は機械にはまだまだ難しいというのが現状です。
技術が進歩しても職人技に頼っている部分がまだまだあるのと同じです。
さきほど"やられた感"があったと書きましたが、それと同時に、不思議な爽快感もありました。
いま考えると、それは人間の手による翻訳の力を感じたからだったのだと思っています。
"The Kirishima Thing"には美しい工芸品と同じ価値があるんですよ。
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