『外国語を学ぶための 言語学の考え方』(黒田龍之助著)は外国語を学ぶすべての人に読んでもらいたい一冊!
言語を学んだり調べたりすることは喜びに満ち溢れている。ところが喜びについてはどの言語学でも認められていない。どうして喜びを隠さなければならないのか。
(176ページ)
多言語学習をしていると言うと、
「じゃあ言語学とかも詳しいの?」
「大学では言語学やってたの?」
などと言われることがよくあるんですが、言語学のことは本当に基本的な用語の意味をいくつか知っているくらいで、全く知らないといってもいいくらいです。
多言語学習をしていれば言語学に興味を持ってもいいんじゃないかと思うかもしれません。
確かに興味があることはあるんですが、"言語学"というと、実際の外国語学習とはかけ離れた、難解な理論をこねくり回しているようなイメージがあって、ずっと深入りしないようにしていたんです。
なので、言語関係の本でも読むのはもっぱら外国語学習大好き人間が書いた奮闘記とかTipsみたいなのが多くて、"言語学"とか"音韻論"とか、専門用語がタイトルに入っている本は避けてきたんです。
ところが先日、好きでよく読んでいる黒田龍之助氏の新刊ではじめて"言語学"とタイトルに入っている本を読んだんです。
それがこちら
本題は『言語学の考え方』ですが、副題を見てみると、『外国語を学ぶための』とあります。
言語学は外国語学習の"スパイス"
言語学を目指す学生は、どうやらわたしの目論見に反して、言語学そのものにしか興味を持たないようなのだ。外国語を学んだら、そこから文学や歴史に興味が広がるのが当然だと考えていたわたしにとって、これはショックだった。文化的背景を無視して、言語の構造だけを追いかけて、それがいったい何になるのか。わたしは外国語学習のスパイスとしての言語学を紹介してきたつもりであり、乳鉢の中で薬品を捏ねるような言語研究は求めていない。そういう言語研究には常々疑問を感じているのに、わたし自身がそんな人間を増殖させているとすれな、悲劇としかいいようがない。
そこで「外国語学習のための言語学」を考え直してみることにした。
(3~4ページ)
この本は、言語学を解説している入門書ではなく、あくまで外国語学習について、言語学の考え方をヒントに考えている本というわけです。
言語学が不案内なぼくのような人間にとってはは、これが当たり前の姿勢なのではないかと思ってしまうんですが、実はそうではないようです。
最先端の言語学にとって、外国語学習なんて全く眼中になく、とにかく言語そのものについて論文を発表し合っては議論し合っているという状況なのです。
そんな状況で、この本のように言語学を実際の外国語学習と結び付けて考えている本は、実は珍しい存在なんですね。
間違って使われる言語学用語
本の最初の部分では、用語について書かれています。
言語学は学問なので、当然厳密に用語が定められています。
ところが、実際に巷で使われている使われ方は、しっかりと言語学の定義通りではないんです。
たとえば、アルファベット。言語学ではこれを、原則として一つの文字が一つの音に対応する体系としている。
(略)
すると、多くの人が、a、b、cをアルファベットなのだと勘違いする。
そうではない。a、b、cは文字の種類の名称としてはラテン文字あるいはローマ字という。確かにラテン文字はアルファベットだが、アルファベットはラテン文字だけではない。
わかるーーーーーーーーw
これ、勘違いしてる人めちゃくちゃ多いんですよ。
ロシア語を勉強しているというと、
「ロシア語って、アルファベットじゃないんでしょ?」
って言ってくる人がいるわけですよ。
この人が聞きたいのは、
「ロシア語って、使われる文字がラテン文字じゃないんでしょ?」
ってことだというのはわかるので、「違うよ」と答えて終わりなんですが、本当は
「ロシア語もアルファベットだよ」
みたいに意地悪したい気持ちもあるんですよねw
ロシア語で使われているのはキリル文字と呼ばれている文字で、「ロシア語のアルファベットはキリル文字」が正しい使い方というわけです。
この本の第一章では、このような用語について書かれています。いろいろな間違い(というか筆者が気になる用語の使い方)が紹介されていて単純に読みものとして面白いです。
ちなみにこのブログのタイトルは『4ヶ国語を勉強するブログ』ですが、実は『4言語を勉強するブログ』の方が好ましいんです。理由はわかりますね。わからない方は本をチェックw
言語学の基礎用語がわかる
全体としてこの本は硬くない文章で書かれていますが、タイトルに"言語学"と付いているだけあって、言語学用語も要所要所で出てきます。
線状性、二重文節性・・・など、言語学を学んでいる人にとっては基本用語なんだと思いますが、聞いたこともない用語ばかりです。
ただこの本では、これらについて、これでもかというくらいわかりやすく解説されているのです。
そしてこれら言語学で使われる用語を引き合いに出すことで、外国語学習のヒントを得ようと試みるわけです。
たとえば、「恣意性」という言葉を言語学で使う時、それは単語と音の結びつきには必然性がないことを表すそうです。日本語では犬はinuと発音しますが、英語ではdog。音と単語の間には共通する法則のようなものはないというわけです。
黒田先生は、これを留学に結び付けて解釈します。
つまり、留学しても単語を覚える労力は変わらないはずである。
世間は留学さえすれば外国語が自然に身につくと信じて疑わない。そういう甘いことばを鵜呑みにして、高いお金を払って外国語が話される環境に身を置いたところで、音と意味の関係が恣意的なかぎり、自然に覚えられるはずがない。言語の恣意性を知っていれば、怪しい謳い文句に騙されずに済む。
この本では、このように言語学用語を実際の外国語学習に結び付けて考えるので、単純にためになるし、新しい視点からヒントを得ることができるんです。
「気付き」から得られる興奮
本の後半以降では、品詞や時制や格、とにかくさまざまな視点から外国語学習のヒントとなるようなことが書かれています。
この後半以降がとんでもない密度なんです。
学者として執筆活動をしながらも、語学教師として教壇に長く立ってきた筆者だからこそ語れる話が盛りだくさん。
言語間の違いに注目したり、難しいポイントに着目したり、話題は本当に多岐にわたります。
また、この章の最後から4ページのところに書かれていた言葉に果てしなく共感してしまいました。
これを「発見」したときには一人で興奮していた。こういう指摘は言語学入門書ではお目にかかったことがない。
(略)
具体的な外国語の学習を通して気づくことは深く滲み渡る気がする。知っている人にとっては当然かもしれないが、学習者には発見との出会いが大切なのである。
これは、筆者が韓国語の集中講座を受けた際に、文法についてのある洞察を得られたというエピソードに続く部分なんですが、これには共感しかしなかったですね。
外国語学習をしていて、楽しいポイントというか、興奮する瞬間っていくつかあるんですけど、大きいのが「発見したとき」なんです。
言語というのは体系で、ひとつひとつの要素が集まってひとつの巨大なシステムを形成しているわけです。
なので、言語学習をしていると、ある時突然細かい知識の蓄積がバババっとつながって、本質的なことが霧が晴れたようにスパァーとわかることがあるんです。
この瞬間の快感ですよ。
ぼくは、
「うわ!そうだったのかー!」
とか叫びながら外国語学習してますw
外国語学習者全員におすすめできる本
外国語学習では、単語を覚えて、文法規則を覚えて、文を作る練習をします。
それの繰り返しでしかありません。
しかし、たまにはいったん知識の吸収は休憩して、このような外国語学習読み物を読んでみるのも良いのではないでしょうか。
いろいろな気づきがあると思いますし、今後の学習のためのヒントを与えてくれるかもしれません。
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